1997年3月21日、ホリプロスカウト5人が午前10時から池袋で一斉にスカウト開始。午後3時、スカウトの一人、児玉奈緒子さん(当時27才)が、4人で歩いていた中学生に声をかける。当時の藤原竜也さんの話では友だちの方が声をかけられたらしいが、彼だけ身毒丸オーディションに応募した。書類に書いた言葉は
ぼくは、小さいころから芸能かいにあこがれていました。自分に自信を持ち、「グランプリをとる」という気持ちをつねに胸にいだいてこのオーディションに参加したいと思います。
申し込み用紙に書き入れて送ると、書類審査通過の連絡がきた。オーディションには5537人の応募があった。5月5日審査会場で彼は
「自分は何やってんだろう、受かりもしないのに帰ろう、と思った。それが、本選に進んだら急に気持ちが変わって。理由は分からないけど、これはグランプリはもらった、自分が選ばれる、って確信したんです」「えっ、ワケ?だから直感です」
審査が進み、ニナガワさんもシントクマルも知らなかった藤原さんが初めて蜷川さんに会った時の事。控え室にいた人達が「おい、蜷川来てるぞ」と話しているのを聞いて、
稲川淳二さんが来てると思って喜んだ彼。オーディションの部屋に入り、ズラッと並んだ審査員たちの真ん中に黒ずくめの人が座っているのを見て、
「あっ、この人が一番偉そう、ナントカ川って書いてある、んっ?」
それが蜷川さんだった。演技の経験など全く無い彼が、蜷川さんの求めるものを感覚的に即座に理解し、素直に出してゆく。彼と蜷川さんの感性がぴったり一致したところから、新しい身毒丸が生まれ藤原竜也さんという俳優が誕生した。
ありがとう!!児玉奈緒子さん!(1998.9 記)
藤原さんのエピソードや発言等を芸歴の年月日順に書けばわかりやすいのですが、このFファイルでは私が見聞きした順に書いてゆこうと思っています。