舞台『身毒丸』がロンドン公演を終えて8ヶ月後、日本公演が始まろうとしている時、藤原竜也さんの心境を一人称で書かれた記事がありました。
ボクは身毒丸のことをよくわからなかった。
身毒丸の深い気持ちというのが、いったいどういうものなのか。
読めない漢字に仮名をふった台本を、何度も読み返してみても見えないところがあった。
ボクはその事を考え続けてた。
ロンドン公演よりも、高いレベルの身毒丸を作ろうという蜷川さんの要求に答えるために...。
今は、ガンバらなきゃならないんだ。
蜷川さんがピリピリしていると、ボクの事で怒っているんじゃないかって不安になった。
今のボクにとって蜷川さんは、父のような存在だから。
公演開始の2時間前、ボクは楽屋に入って着替える。
劇場の中で、ゆっくり時間をすごしているうちに、ボクは身毒丸になってく。
ボクはそのとき、舞台上で身毒丸になりきることしか考えてないんだ。
ボクが考えて、今、ボクができる最高の演技を見せなきゃならない。
蜷川さんが考える百パーセントより、それ以上の身毒丸をお客さんにみてもらえるように。
ロンドン公演の最終舞台が終わったとき、お客さんがスタンディング・オベーションしてくれたときの感動と気持ちのよさだけが、ボクを再び舞台の上に立たせてくれる力だから、僕はこれからも役者としてこの感動を求め続けていきます。
そのための苦労なら、いくらしたってかまわないし、いろんな人の力をいっぱい借りたい。
今ボクは、のどがかれてまともに声がでる状態じゃありません。
1時間に5回も6回も、ハチミツを溶かして飲んでる。
だけど、ふだん声が出なくなったっていいんだ。
ボクの声は、舞台の上に立って、お客さんに向かって届けられればいいんです。
(1998年Myojoより)