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2016年 11月 16日
『鱈々』大阪公演 11/13(日)ソワレを観劇。
懐かしい上本町。近鉄劇場へは何度通ったことか。 初めて訪れた新歌舞伎座は、その跡地あたりにできたビルの6階。先に調べて一階席が緩やかなスロープになっていて傾斜がほとんどないのが気にはなっていたのですが、目線の先の頭と頭のすき間から覗き見るような観劇になってしまいました。照明が暗いシーンが多く、しゃがんだり寝転がったりするシーンが多いこの演出に限ってこの劇場は向いていないと感じました。上演までゆとりがあったので二階席や三階席もチェック。上のほうは傾斜があって見やすかったかもしれません。もちろん舞台上に置かれたセットもチェック。両横があまっていて真ん中に固まってる感じ。 ロビーのお花は藤原さん宛に金鳥とSKYSEAさんから、とても立派で綺麗。中村さん宛の4つの花も綺麗でしたが、あとのお二人にはなかった。。 グッズは珍しく全部揃っていました。だらだらボックスの写真が素敵で迷わず購入。クリアファイルと舞台写真Aも。あとはパンフ2種、両方あると買ってしまう。売り場の女性がとても丁寧で感じが良かった。 客席にいつも置かれているチラシの束がなかったのは意外。外にこの芝居のチラシが一杯置かれていたのも意外。ファンクラブ募集のチラシももらってきました(1月21日京都市内でイベントがあるとか。ちょうどこの頃本当は「近松心中物語」だったのかな) この芝居、やめとけばいいのに前から戯曲集を読んでしまっていました。おかげで妄想が膨らんで、「シーシュポスの神話」を思い浮かべていました。当たり前のように続く日常生活の中で、ある事をきっかけに自分が生きている意味を掴もうともがき、結局は疎外され、不条理を不条理としてそのまま受け入れて何もなかったかのようにまた生き続ける。その鈍感さ従順さがある意味生きる強さに繋がっているのか、それとも耐えきれず死んでしまうのか。ジャーンの姿をそんな風に妄想していた。キームも結局は不条理な世界から抜け出せずに堂々巡りをしているだけなのかなと、芝居の中の登場人物像を色々と思い描いていた。 ただ、どうしても南北に分断された国の人々の苦悶が頭から離れない。この芝居以外の戯曲もすべてその事が根底に流れていて、苛立ち苦悩悲しみは想像はできるが、その根深さが怖くて芝居に集中できるか不安になった。 芝居が始まってその不安は一気に消えた。そりゃそうですよ、久しぶりのナマの藤原さんの姿と声。あ、声は少し掠れていましたが。 斜め前の人の座高が半端なく高い、横の人たちと比べると10センチは高そう。でもしっかり横から観る! 時折客席から笑い声。確かにジャーンが可愛くてクスクス笑えるところもあった。私がフフっと笑ったのは悪魔の夢の話で裏声で喚くところ、唐辛子の粉を3杯も入れた時の藤原さんの表情(見えないけど想像できる。笑)、木場さんが花札を手品風に出してみせるシーン、ズボンから白いホコリが立つところ、アイロンがけが雑なところ、ハンカチやお金を渡すシーン、深刻なシーンに不釣り合いな赤いセーター、等々。結構笑ってる。 「度胸」というセリフが出て来る場面で涙が出そうになった。 (これは私事ですが、最近仕事場のボスから「仕事がゆっくり丁寧過ぎる。もっと速くこなして欲しい」と言われました。要するに残業代が出せないということ。手は抜けないし、同じ内容を急いでやる事にしました。おかげで定時に終わったらもうクタクタで。そんな事が頭をよぎって、うすのろのカメと言われているジャーンと自分を重ねてしまったのです) 手紙を書くシーンの最後のセリフで、声がマイクを通したように大きく響いたのは何故。 ダーリンが哀しい。キームも哀れ。木場さん、声が良すぎる。藤原さんの声は掠れ気味で裏声を張り上げると痛々しく聞こえる。喉が弱いのかな。飲み過ぎか。 年食った婿さんって、35歳で言われるのか。。。 「行かないでくれよ」って、切ないと思うんだけど笑いが起きていた。何故。(戯曲では「行ってはだめだ」となっていたが、ちょっと意味が違ってくるような気がする) できるだけ先入観を持たず、舞台上で演じる役者達、藤原さんの声色や台詞回しを堪能しようと決めていた。でも途中で韓国語(たぶん)の歌が流れるんですよね、また引き戻される分断問題。頭の片隅に常に朝鮮半島の状況を置いて観るべき芝居なのか。そしてまた「爆弾」というセリフ。また気持ちがもどされる。だめ!頭を空っぽにして楽しみたいんだ。ごめん。久しぶりの藤原さんの姿・演技・声に酔いたいんだ。また深呼吸して新しい空気を入れて頭の中のよどんだ空気を追い出す。 ラストシーンは、泣かされた。微笑みながら鱈の頭に近づき、話しかけ、頭を空にしてまた仕事を続けるジャーンの姿。表情は遠くて見えないけれど、まるで側に寄り添っているような感覚を味わった。箱を運び続ける後姿が切なく哀しい。虚しいと感じるのはイヤだった。自分自身も否定してしまいそうで。 カーテンコールは3回。舞台上が明るくなって藤原さんの全身が一番よく見えた(笑)ラストシーンのまま舞台に残っていた藤原さんがお辞儀。他の3人の邪魔にならないように床の上の鱈の頭を少し横にどけて3人を迎えて全員でお辞儀。3回目には笑顔。「これから飲みに行くからもうこれでお終い!」と言う風に見える笑顔で(実際この後、勘九郎さんと朝まで飲んでおられたようです。公演中に大丈夫なの)上階席を見上げた後、上手の客席を見て大きく手を振って上手へ消えてゆかれた。以前より一層若く見えるのが不思議でたまらない。綺麗だ、かっこいい、ミーハー感覚でウットリする。 終わってから、舞台に近づいて床に藤原さんが置いた鱈の頭をじっくり見る。うけ口なんだ、鱈って。ポカーンと口を開けて上を見上げている。また辛くなった。 (追記)11/20(日)ロームシアターサウスホールにて舞台『星回帰線』を観劇。一度蓬莱さんの演出を観てみたいと思っていたところ、藤原さんが東京公演を観劇されたと聞いて急きょチケットを入手。舞台セットはシンプルかつ機能的。テレビでしか見た事がなかった俳優さんばかりでしたが、声もよく通り上手いし見応えがありました。以前京都会館だった所にできた劇場で、しょっちゅう前を通るのに中に入ったのは今回初めて。とても綺麗で4列目から段差もあって見やすい劇場でした(新歌舞伎座とはえらい違い)。ここで藤原さんの舞台をやって欲しいな〜近いし(ついでに若冲展も観賞。象と鯨図屏風がよかった!) 『鱈々』を観てじっくり反芻しようという時に、また違う舞台を観てしまって、少々頭が混乱しています。楽しい混乱ですが。
by shintoku0
| 2016-11-16 12:00
| 藤原竜也 舞台メモ
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Comments(6)
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ryo
at 2016-11-28 00:13
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こんばんは、母さま。
毎日のようにお邪魔してるのですが、なかなかコメントできる余裕がなく、とりわけ藤原さんの舞台の感想は、いろいろ考えたり言葉を選んだりしてるうちに時間が経ってしまい、、、すみませんm(__)m 思うことがたくさんあるお芝居でした。 実はけっこう早めに戯曲を読んで、その時に「どうしてこれを藤原さんと山本さんが?」と思ったのですよね。戯曲の設定では二人とももう少し年上で(40前くらい?)、くたびれた中年に近い二人という生活感あるリアルさと、状況の不条理さとのギャップが際立つお芝居なのかなという印象だったのです。なので、どうしても30前後の青年に見えてしまうお二人だと違うんじゃないかと、、、でも、やっぱり生身の俳優さんたちの舞台は、そういう言葉だけの戯曲を超えてしまうというか、今目の前にある方たちの体で表されるものなんだと、改めて思いました。 それもあって、私は、韓国のお芝居ということがほとんど気にならなかったのですね。母さまのおっしゃる分断という状況は、この作家の他の戯曲も読んだので、そこでは露わになってると思いもしたのですが、少なくとも「鱈々」の舞台では、もっと普遍的なと言うか、個別の国の事情を超えて個人の生き方を振り返させてくれるものがあったように思います。 新歌舞伎座は実は、勘三郎さん(現勘九郎さんのお父さん)が、いっとき、病気から復帰された際の舞台を観た劇場でした。それ以来で感慨深かったです。。。
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shintoku0 at 2016-11-28 12:21
ryoさま コメントありがとうございます!
嬉しいです♪♪ 韓国では冴えない中年の男性が演じておられたんですよね。藤原さんも山本さんも若くて綺麗。そのギャップが脚本とのちぐはぐさを生んでいるんじゃないかと、観る前はとまどったりしていました。 ryoさまは何の偏見も持たず純粋に楽しまれたんですね。素敵な感想を書いてくださってありがとうございます♪ 私も実際に芝居が始まってからは、メモにも書いていますが現実の世情を思い浮かべる場面もありつつ、珍しく自分の生活と重ね合わせて見てしまったり(書いてから恥ずかしくなりましたが)、ジャーンと同じくらい切ないダーリンの生き方を想って胸が痛くなったり、見ている最中から今もなお考えさせられています。個々人の生き方とあちらの世情が交差して、虚構と現実世界が入り交じる観劇でしたが、こういう受けとめ方もあるのかなと、今は落ち着いて愛おしく思い返しています。 あの劇場は演歌歌手のコンサートのポスターばかり貼ってあったので、本当に歌舞伎やってんのかなと疑っていました。そんな凄い舞台もやってたんですね。全然知らなくて恥ずかしいです。
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ryo
at 2016-11-28 20:41
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続けてごめんなさい。
前のコメントで書き忘れたのですが、母さまがあの手紙の場面で声がマイクを通したように響いたって書かれてましたけど、私もそう聞こえました。でしたよね?あまり他の方の感想拝見してないのですが、そう書かれてた方いらっしゃらなかったような気がして、気のせい?て思いながら、でも2回観て(観られました!)2回ともそうだったので。あの場面だけ、どこかに仕掛けてあったマイクが藤原さんの声を拾うようにされてたってことなんでしょうか?? 照明も素晴らしかった。舞台後方の重そうな扉を開けた時に外から入る光、暗いはずの倉庫に縦と横に走る(たぶん抽象的な)光。4人だけのお芝居を大きな舞台空間で成立させるための光の使い方のように思いました。 「置いてけぼりにされてがらんどうになった頭で、この世界が間違っているだなんて判断しちゃいけない」というジャーンのセリフをどう受け止めればいいのか。思い起こすたびに揺れています。
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shintoku0 at 2016-11-29 18:05
ryoさま こんばんは!
舞台の話ができて嬉しいです〜♪今回は母が観劇していないので、芝居の話で盛り上がれなくてフラストレーションがたまっていましたから。 やはり声が響きましたよね、どういう狙いだったのか分かりませんが少々ドキッとさせられました。2回ご覧になられたんですね、私も当日券に並ぶとかもう少し努力すれば良かったかな(今更ですが)。 照明も、時々射す外の眩しい光は、倉庫の暗さをより感じさせる効果もありましたね(でも見辛かった。笑)。 最後のセリフ、ryoさまの書かれたのを読むだけで胸がギュッとなりました。 キームと違ってジャーンは本を読み知識も知恵もある人という設定ですから、「虚しい思いがいっぱい詰まった頭」とか「置いてけぼりにされて、がらんどうになった頭」と言ってる「頭」は、「心」ってことですよね。観終わった直後は、せつなく寂しく、ジャーンの姿がただ哀しく見えたんですが、一人になって間違えずに箱を積み続けてゆく先にいつか、自分の頭で考え「まごころ」の意味をみつけられる日がくるんじゃないか、そんなポジティブな捉え方もできそうな気がしてきました。藤原さんが演じたからそう思えるのかもしれません。
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ryo
at 2016-11-30 10:32
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またまたすみませんm(__)m
あのセリフの「頭」が「心」だっていう母さまのご意見、あ~~と思いました。頭と心か、、、なんだかまた考えてしまいそうです。 初見の時、ラストのジャーンがあまりに切なくて哀しくてこの後、一人に耐え切れず心を病んでいってしまうんじゃないかって思ってしまったのですが、2回目の時は、そうじゃないかもしれない、この日々の続きを彼はちゃんと生きていくのかもしれない、と思えて。 私にはキームが間違っているとも、思えないのですよね、、、
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shintoku0 at 2016-12-03 13:45
ryoさま ありがとうございます!
嬉しいです♪ そうなんですよね、本を読んだ時には、1人残されたジャーンは死んでしまうんじゃないかと思えたんですが、藤原さんのジャーンは生き抜くって徐々に感じられて。外に出て自由を手に入れられると思っていたキームは、そこはまだ同じ殻の中だったと悟った時にどうするんだろ。 国の事情や政治の事など抜きで見ると、人の生き方が見えてきますよね。何処にいても誠実に生きていたらきっと光がみえてくる、とか。 早朝のテレビで、缶コーヒーのCMで蜷川さんの少し若い写真が映し出されて「やりたい事をちゃんと自己主張しなさい、と」って声が聞こえてきて、いきなり過ぎてとっさに泣きそうになりました。 ジャーンもキームも狭い世界で自分のやりたい事をちゃんとやろうとしてる。なんだかこじつけみたいですけど、蜷川さんの言葉と繋がってしまって、感慨深かったです。
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