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2019年 10月 02日
いつも来てくださってありがとうございます。
2006年春から細々と続けてまいりましたこのブログですが 一旦この辺りでお休みいたします。削除はせずに離れます。 長い間お付き合いくださって本当にありがとうございました。 ryo様はじめコメントくださった皆様には心から感謝しています。 いつかまたどこかでお目にかかる日が来ますように。 003の母 #
by shintoku0
| 2019-10-02 17:29
| 藤原竜也 メモ
2019年 08月 04日
ダーバンのCMの藤原さん、ダンディ!
鋼太郎さんがダンディなのは当然ですが、藤原さんが十代の頃にダンディって言われたいっておっしゃってて、まだまだ50代ぐらいにならないと無理でしょなんて思っていたのに、いまこの年齢でダンディに見えるなんて。胸板が厚くなられたのかな、スーツも着せられてる感が全くなくてかっこいい。 ダイナーで藤原さんの美しさを再確認したからなのか、CMのあの髪型までもかっこよく見えて、見惚れています。 先日の「藤原竜也のラジオ」ですが、夜中に声だけの怖い話を一人で聴いちゃいけない! 松原タニシさんのお風呂の話のところで、机の上の写真立てがいきなりバタッとうつ伏せに倒れました。ヒィって大声出して椅子から飛び退きましたよ!もう!ホント怖かった。藤原さんの『鱈々』の時の唐辛子粉の瓶を持った嬉しそうな写真(綺麗です)が入ったその写真立てが何故そのタイミングで倒れるのか。そのあとお風呂に入るのもビクビクしてた。 #
by shintoku0
| 2019-08-04 06:58
| 藤原竜也 メモ
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Comments(7)
2019年 07月 13日
映画ダイナー、2回目の鑑賞で全く感想が変わってしまいました。
ここからまたネタバレになります。 1回目は蜷川幸雄氏の肖像画や車のシーンに動揺して、他のことが入って来ないまま終わってしまってた。2回目でこんなに受け止め方が変わるとは自分でもびっくりしています。 セリフの一つ一つが心に沁みました。 特にボンベロがカナコに出てゆけと言った後の、カナコのセリフ。まるで藤原さんが蜷川幸雄さんにぶつけたかった言葉そのままで、ここで泣きそうになった(隣に男子中学生のグループがいてポップコーンなど食べて楽しんでいる風だったので、ぐっと我慢しました)。その時のボンベロは藤原さんではなく蜷川幸雄さんでした。こんな風に伝えてゆくものなのか。藤原さんにこんなセリフを言わせられるのは蜷川実花さんしかいない。 美しさも堪能しました。俳優たちの美しさ、セットの美しさ。エンディングで主題歌が流れる時の意表をつくひたすら黒いだけのバック。隅々まで考え抜かれた映画。もう一度また行きたくなる映画は久しぶりです(藤原さんの映画でほぼ満席に近かったのも久しぶりでした) (追記)去年の5月にダイナーの単行本を図書館で借りて読んでから、記憶が曖昧になっていたので、映画を観たあと先日やっと藤原さんが表紙になった文庫本を買い、読み直しました。どうも感じが変わっているような。もっとハードで冷酷な印象だったんですよね単行本は。なのでまた単行本を図書館で予約しました(随分人気が出てるみたいで順番待ちです) 映画の方は、ラストがやはり違っていました。私は真っ黒な服を着て何も言わずに佇むボンベロが菊千代と幽霊になって1日だけ帰って来たのだと思い、胸がしめつけられた。あのなんとも言えない表情がずっと心に焼き付いていて、また会いに行きたくなります。 #
by shintoku0
| 2019-07-13 15:22
| 藤原竜也 メモ
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Comments(4)
2019年 07月 10日
映画「Diner ダイナー」
ネタバレを含んでいます。 1回目観た時、蜷川幸雄さんの肖像画が出てきた時には、娘だからこそできる悪趣味だと感じた。車の事故で蜷川幸雄さん(デルモニコ)を殺してしまうとか、もう唖然としてしまって。娘の実花さんも藤原さんもきっぱり吹っ切っておられるんでしょうか。未だに蜷川さんの話題に触れると胸が苦しくなってしまう私は、そのエネルギーに圧倒される。可愛い女の子に対して、「感覚を研ぎ澄ませろ」等々、蜷川さんが発していたような言葉をボンベロとして藤原さんに言わせる。一体実花さんと藤原さんはどんな話し合いをされたんだろう。蜷川幸雄さんから引き継いだものを、楽しいエンタテインメントの中に潜り込ませてゆく力。 若手俳優の中心にいる藤原さんが、「俺はここの王だ!」って迫力のある声で言いつつ、カナコやスキンにとても優しいんですよね。四天王に対しても決して強くはないところが、まるで今の藤原さんの立ち位置のよう。若手からは尊敬されながら、もうコテンパンに演技指導してくれる蜷川幸雄さんはいなくて、気の抜けた演技は絶対にできない、自分一人で切り開いてゆかなければいけない。。 原作を読んだ時、オオバカナコに振り回されて結果悲惨な目にあうのがボンベロのイメージでしたが、事実上の主役であるカナコ(カナコが一番長く映ってたよね)を成長させてゆくストーリーになってる。しかもあの予想外のラスト。 ラストシーンはどこかで観たようなセットと設定。ボーンアイデンティティだったか、、記憶が曖昧だけど、ここかしこに映画や舞台の引用がされていて、あれっ?これはもしかして?って考えてるうちにどんどん絵が変わっていく。 最初のモノクロの群像がゆっくり動く映像は、蜷川幸雄さんのギリシャ悲劇のコロスのようで、魅力的だった。小劇場の舞台ような回想シーンも(イレイザーヘッドやツインピークスも連想した)。ああやっぱり親子なんだと最初からしみじみしてしまう。 赤が主調の映像が目まぐるしく変わっていったら、きっと目が回ってついてゆけないだろうって思っていたけれど、美しくて見惚れてしまって、できればスローにしてセットや小道具や俳優の表情をじっくり観てみたいって思うほどでした。ただ、でもやはりまだ私は蜷川幸雄さんから一歩踏み出せないのかな。映画館で泣きそうになった人は何人ぐらいいるのだろう。 #
by shintoku0
| 2019-07-10 18:11
| 藤原竜也 メモ
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Comments(2)
2019年 04月 19日
実在と虚構の世界。
虚構の世界を役者と観客が作り出し、実在する者たちの世界と時には重なり合いながら芝居が進む至福の時。特にセリフの美しい舞台は自分が何を見て何処にいるのかも曖昧になってしまうほど。久しぶりに観た三島由紀夫の舞台はまさにそんな芝居でした。 『熱帯樹』そのセリフの美しさ。 信子「そうよ。夜になると遠い町あかりの、ネオンサインを見るのがあの人は好きだったの。ネオンサインとあの人。谷あいの家の灯(ひ)がすっかり消え、むこうの丘の森がくろぐろと見え、夜がどんなに深くなっても、あの人とネオンサインとは、いつまでも起きていたの。谷が東のほうへひらけていて、そこにきらきらと光る水たまりのように、遠いネオンが青や紫や赤や黄をこぼしているの。その広告の文字はつぶさに見えず、奇妙にしんとして、夜の朽木(くちき)の上に群がっている色とりどりの昆虫のように見えるの。あの人は眠れない毎晩を、枕に頭をもたせたまま、遠いネオンをじっと見てすごしていたわ。」 「ええ、寸分たがわぬ姿で。郁子さん、それはほんとうに気味のわるい眺めだったわ。あの人が死んでも、毎朝きちんと郵便配達の来るこの世界。家(うち)のちかくの急な坂の途中に、昼間でも門燈をともしている変な家があったの。あの人が死んでも、昼間そこの煤(すす)けた門燈は、乳色の硝子の珠(たま)に半分うすい日ざしを浴びながら、いつものように灯(とも)っていたわ。・・・今日も汽車は時刻表どおりに発車し、今日も銀行は同じ時刻に鎧戸(よろいど)をあげる。何一つ変わりはしないの。何をしたって、あの人が死んだって、人を殺したって、何一つ変わりはしないの。世界は、呼んでも谺(こだま)の返らないふしぎな場所、どんなことをしても手の届かないふしぎな場所なの。古い金いろの薬屋の看板も、その軒下に巣をつくる燕も、御用聞きたちの自転車も、・・・すべては気味のわるいほど、あの人の死ぬ前の世界とそっくりだったわ。・・・おや、眠ったのね。眠れるのが何よりよ、郁子さん。安心しておやすみなさいね。部屋を暗くしましょうね。午後になって移る日光が、眠っているあなたの瞼をくすぐるといけないから。」 セリフを聴いていると、情景がくっきりと浮かび上がる。芝居を観終えてからも、舞台にその光景が舞台装置とともにあったと思い違いをしそうなくらい、くっきりと見えていた。 今、思い出すのは藤原さんがテレビでも台本を朗読した「卒塔婆小町」のセリフたち。これは2006年5月25日のFファイルNo.114「懐中デンキ」に詳しくアップしていますが、テレビで聴いていても惹きこまれた。実際に舞台で三島のセリフを味わうと妖しい世界に迷い込んでしまいます。また藤原さんにも演じてほしいな三島の世界。 #
by shintoku0
| 2019-04-19 18:47
| 藤原竜也 メモ
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Comments(12)
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